般若波羅蜜多心経 ― 共創数学による訳

2026年10月31日 · 楠見優太

(この頁は、Claude Docs の文書 rev 91 を写したものです。式は MathJax で組まれます。この頁は CC BY-NC-SA 4.0 で公開します。原文の漢文は CBETA 電子佛典集成に拠ります。CBETA の使用說明と版の情報は CBETA-NOTICE にあります。)

序 この訳の約束

この訳は、『般若波羅蜜多心経』一巻の全文を、原文・書き下し・現代語訳の三つで訳し、そのうえに、共創数学の記号で経の組み立てを写した「式と読み」を添えます。式は、経の言葉の条件・否定・順序・因果を見やすくするための地図です。経に新しい教えを加えるものではありません。この訳は、先に作った浄土三部経の三つの訳(仏説無量寿経 ― 共創数学による訳、仏説観無量寿経 ― 共創数学による訳、仏説阿弥陀経 共創数学による訳)と同じ約束で作ります。ただし、底本の立て方だけが違います(次の「底本」)。

底本

四つの層

層 中身 誰の言葉か
原文 漢訳の経文 経(訳者は唐の玄奘)
書き下し 原文の訓読 この訳
訳 現代語の訳 この訳
式と読み 経の組み立てを記号で写したもの この訳

札

式と読みには、次の札を付けます。札のない段落は、経(原文・書き下し・訳)か、この訳の地の文です。

札は、置かれた段落と、そのすぐ後に続く表と式に掛かります。ただし〔未照合〕は、付いた文だけに掛かります。

四つの約束

  1. 文が優る。式と文とが食い違って見えるときは、文に従います。式は、文の言うことを狭めも広げもしないように書きましたが、地図は土地そのものではありません。
  2. 層を混ぜない。整理表は、語りを三つの層(数理・事実層、規範層、経典・ミュトス層)に分け、混ぜないことを規律とします。経の言葉は、経典・ミュトス層に属します。この経の説く空も、観自在菩薩の照見も、呪も、この層の言葉です。この訳の式は、その言葉の組み立てを、論理の側へ写した地図です。整理表の A4 は、論理と神話の間に随伴(往き来の対応)があるとしつつ、「随伴は同型ではない」とし、ミュトスの地図の美しさをロゴスの地図の上の主張の証拠に転用することを禁じます。ゆえに、経の言葉の美しさは、数理の主張の証拠になりません。この訳は、逆の向きにも同じ歯止めを掛け、式が整うことを、教えの真の証拠ともしません。逆の向きの歯止めは A4 の明文ではなく、随伴が同型でないことと、経典・ミュトス層の裁定者が「解釈の伝統」であること(整理表のレジスタ分離)から、この訳が引く帰結です。
  3. 否定を値切らない。経の「無」「不」は、式でも否定として書き、少ない、弱いといった量や度合いに読み替えません。経が否定を重ねる所(「無無明亦無無明盡」)も、重ねたまま書きます。経が「乃至」で略した所は、式でも略したままとし、中の項を経の言葉として補いません。
  4. 諸宗に公平。読みが伝統によって分かれる所(「色即是空」の「即」、「以無所得故」の掛かる所、呪を訳すかどうか、など)では、〔諸釈〕に代表的な読みを並べ、どれが正しいとも判じません。式は、読みの違いがどこにあるかを、はっきりさせるためにも用います。

拠り所

手引き この訳が借りる共創数学の項目

この訳が整理表から借りるのは、次の三項目です。「整理表の言明」の欄で「」に入れた文は、整理表の文言のままです(式は、整理表の TeX を字に直して写しました)。「」の外は、この訳による要約です。札の欄には、整理表の札を写しました。整理表が札を付けていない所は「札なし」とします。

項目 整理表の言明 札(地位|出所|所在) この経での使い所
レジスタ分離 語りを三つの層に分け、層ごとに裁定者を置く。数理・事実層は「証明・測定・盲検」、規範層は「公開の議論」、経典・ミュトス層は「解釈の伝統」。経典・ミュトス層は「A4の随伴で数理層と結ばれる意味の地図。随伴は同型ではない——証拠に転用不可」。 札なし|刊行済|第0層 すべての段。経の言葉を経典・ミュトス層に置き、式は、その組み立てを写す地図として添えます(序の約束の二)。空の教えも、呪も、この層に置きます。
A0 沈黙の公理 「いかなる記号体系 L も、u′(虚空の余剰)を汲み尽くせない」。言明の続きに「再帰構造 u′ₙ = i₍ₙ₊₁₎ ⊕ u′₍ₙ₊₁₎」。五段階の欄に「欠如 → 源泉 → 一如 → 不二 → 無所得」。運用上の顔の欄に「u′ ⇒ c_next——不完全性は創造の泉」。 公理|刊行済|第1層 A0 四の否定の列(経の挙げる法の分け方の項と、智と得とを、空の中には無いと言う所)。五の「以無所得故」(五段階の終わりの「無所得」と同じ語)。六(A0 をこの訳の式そのものに当て、呪の所で式を止める所)。札は四・五・六に立てます。四と六は、第一著作 14‑5 の読みと同じ所に当たりますが、その読みは借りません(下の「借りないもの」)。
A4 夢の位相空間 「ロゴス圏 ℒ(論理・数学)とミュトス圏 ℳ(詩・神話)の間に随伴 L ⊣ R : ℒ ⇄ ℳ が存在する。論理と神話は同じ空間の異なる地図」。要点の欄に「随伴は同型ではない——往復のたびに何かが失われ、何かが生まれる。ミュトス地図の美しさをロゴス地図上の主張の証拠に転用することはA4自身が禁じる」。 公理|刊行済|第1層 A4 二の「色即是空,空即是色」。対の言葉が整って見える所で、A4 の禁止(経の言葉の美しさを数理の主張の証拠にしない)と、この訳がその逆の向きに掛ける歯止め(式の整いを教えの証拠にしない)とを示します(序の約束の二)。札は二に立てます。

整理表の式を、記号のまま抜き出すと次のとおりです。

\[ \begin{aligned} &\text{A0(再帰構造)} && u'_n = i_{(n+1)} \oplus u'_{(n+1)} \\ &\text{A0(五段階)} && \text{欠如} \to \text{源泉} \to \text{一如} \to \text{不二} \to \text{無所得} \\ &\text{A0(運用上の顔)} && u' \Rightarrow c_{\mathrm{next}} \\ &\text{A4} && L \dashv R : \mathcal{L} \rightleftarrows \mathcal{M} \end{aligned} \]

この訳の記号

〔定義〕経の全体を通して用いる記号です。そのほかの記号は、その段で定めます。これらは借りではなく、この訳の定めです。

記号 読み
五蘊 色・受・想・行・識の集まり(経の「五蘊」)
空(x) 経が x について「空」と言うこと(「皆空」)
異(x, y) 経の「異」。「x 不異 y」を ¬異(x, y) と書きます
即(x, y) 経の「即是」。この訳は、これを = とも不二とも定めません(二の〔諸釈〕)
空中 経の「空中」(「是故,空中無……」)の及ぶ所
¬ 経の「無」「不」
P ⇒ Q 経が「故」「以……故」「是故」「故知」で結ぶ理由と帰結。経が言う向きにだけ書きます

一 観自在菩薩の照見――五蘊はみな空

経は、観自在菩薩が深い般若波羅蜜多を行じる時のことから始まります。この経には、「如是我聞」で始まる序がなく、終わりの結び(流通)もありません。諸師はそろってこのことを言います(〔諸釈〕)。

原文 觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時,照見五蘊皆空,度一切苦厄。(大正8・848c)

書き下し 観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊はみな空なりと照見して、一切の苦厄を度したまふ。

訳 観自在菩薩は、深い般若波羅蜜多を行じる時、五蘊はみな空であると照らし見て、一切の苦厄を度します。

〔読み〕経は、般若波羅蜜多を行じる「時」に照見することを言い、続けて度すことを言います。三つを「故」で結ばないので、式も ⇒ を使わず、∧ で並べます。時 t は、経が「時」と言う行と照見とに付けます。度すことがいつ成るかを、経は言いません。法蔵は「當得遠離分段、變易二種生死」と、窺基の如応者は「當必皆除」と、その一部をこれから成ることとして読みます(〔諸釈〕)。式は度に t を付けず、書き下しと訳も、時を定めない形(「度したまふ」「度します」)で書きます。照見の中身は「五蘊はみな空である」ということで、式では[ ]に入れます。度すのは観自在菩薩ですが、誰の苦厄を度すのかを、経は言いません。式では、苦厄に下付きの ? を付けて、そのことを示します。訳は「度」と「苦厄」を、言いかえずに置きます。

\[ \text{行}_t(\text{觀自在菩薩},\ \text{深般若波羅蜜多}) \ \wedge\ \text{照見}_t\bigl[\,\forall x \in \text{五蘊} :\ \text{空}(x)\,\bigr] \ \wedge\ \text{度}\bigl(\text{觀自在菩薩},\ \text{一切苦厄}_{\,?}\bigr) \]

〔諸釈〕この経の分け方と、序と流通のないことを、三師は次のように言います。窺基は、二つの立場の釈を並べます。「勝空者」と「如応者」です。三師は、序と流通のないことでそろい、「以無所得故」をどこに付けるかで分かれます(五の〔諸釈〕)。この訳の六つの段は、法蔵の分け方(略標綱要分と、広陳実義分の五つと、秘密般若)に拠り、広陳実義分の五つめ(結歎勝能)と秘密般若とを、六にまとめました。

師(出所) 序と流通 分け方 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・552c–553a) ない 顕了般若と秘密般若(呪)の二つ。顕了般若を略標綱要分と広陳実義分に分け、広陳実義分を五つ(払外疑・顕法体・明所離・弁所得・結歎勝能)に分ける 「此既心經,是以無序及流通也。文中分二,初、顯了般若,後、「即說呪曰」下,明祕密般若」「就前文中亦二,初、略標綱要分,二、從「舍利子!色不異空」下,明廣陳實義分」「於中有五。一、拂外疑,二、顯法體,三、明所離,四、辨所得,五、結歎勝能」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・524a–524b、536b) ない 勝空者の説は二つ(「観自在」から、「菩提薩埵」から)。如応者の説は三つ(「観自在」から、「舎利子」から、「菩提薩埵」から)。如応者は、「舎利子」からの分をさらに三つに分け、その終わりを「以無所得故」とする 「三分、二序故皆遺闕」「勝空者言,今此經中略有二分,初、「觀自在」等破二執、顯二空,後、「菩提薩埵」等歎二依、得二利」「如應者言,今此經中總有三分,初、「觀自在」等標上人修行,勸示發心;次、「舍利子」等陳機感者名,述理垂喻;後、「菩提薩埵」等彰依學之德歎獲勝利」「義段有三,初、「舍利子」等,總告彰空;次、「是故」等,別結所空;後、「以無所得故」,釋成空理」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・543b) ない 三つ。能観の智(「観自在」から)、所観の境(「舎利子」から)、所得の果(「以無所得故」から) 「於此經中總有三分,初、明能觀智,次、「舍利子」下辨所觀境,後、「以無所得故」下顯所得果。所以無序及流通者,於諸般若簡集綱要,故唯正宗,無序、流通」

〔諸釈〕「度一切苦厄」を、誰の苦厄を度すことと読むか、また度すことがいつ成ると読むかで、読みが分かれます。

師(出所) 誰の苦厄か 読み 本文
法蔵『略疏』(大正33・552c) 観る者(菩薩)の 観る者の利益。真空を証し見て苦悩が尽き、やがて二種の生死を離れ、菩提と涅槃の果を証する 「四、明能觀利益」「四、明利益。謂證見真空,苦惱斯盡,當得遠離分段、變易二種生死,證菩提、涅槃究竟樂果,故云度一切苦厄也」
窺基『幽賛』(大正33・536a–536b) 観る者(菩薩)の 勝空者:性空を照らして苦厄を度し、すみやかに涅槃を証する。ただし勝義によれば度も得もなく、世俗に随って度と得がある。如応者:観自在はまだ成仏していないが、空を照らすことで、やがて必ずみな除くので、発心を勧めて「度一切」と言う 「便度苦厄,疾證涅槃。雖依勝義無度、無得,隨世俗中有度、有得」「此觀自在猶未成佛,由照空故,當必皆除,勸示發心,言度一切」
円測『賛』(大正33・544a、544c) 衆生の(利他) 「照見五蘊皆空」は自利のはたらき、「度一切苦厄」は利他のはたらき 「用有二種,一者、自利,二者、利他,此明觀空即是自利」「「度一切苦厄」者,此即第二顯利他用」

〔諸釈〕「苦厄」の語の組み立てを、円測は三つに読み分けます。苦がすなわち厄であるとする読み(「一曰,苦即是厄,故名苦厄,六釋之中是持業釋」)、厄を欲・有・見・無明の四つとして苦の厄とする読み(「若依此釋,苦之厄故,名為苦厄,故六釋中是依主釋」)、苦と厄とを別のものとする読み(「一曰,苦厄別有所目,如前兩釋,故六釋中是相違釋」)です(大正33・544c)。窺基の引く如応者は「此苦即「厄」,災難義故」と言い、また「「厄」謂八難,及諸危怖、小三災等」とも言います(大正33・536a)。訳は「苦厄」を分けずに置きます。

〔諸釈〕「観自在」の名と「深」を、諸師は次のように釈します。

師(出所) 語 釈 本文
法蔵『略疏』(大正33・552c) 観自在 理と事とが互いにさまたげ合わない境を観て達することに自在(智による釈)。機を観て往き救うことに自在(悲による釈) 「謂於理事無閡之境,觀達自在,故立此名。又觀機往救,自在無閡,故以為名焉。前釋就智,後釋就悲」
窺基『幽賛』(大正33・524b) 観自在 観は察、自在は無滞で、救いのはたらき。また、観は照で、空と有を了する慧、自在は縦任で、得た勝れた果 「「觀」者,察義,府救慧悲。「自在」者,無滯義,拔濟妙用」「又「觀」者,照義,了空有慧。「自在」者,縱任義,所得勝果」
円測『賛』(大正33・543b) 観自在 旧本の「観世音」は、世間が菩薩の名を称える声を観て救うことで、語業だけを示す。今本の「観自在」は、内に二空を証し、外に三業を観て、任運に自在 「若依舊本名觀世音,觀諸世間稱菩薩名音聲語業以救諸難,因而立號,名觀世音,猶未能顯觀身、意業。而今本云觀自在者,內證二空,外觀三業,不依功用,任運自在,故曰觀自在」
法蔵『略疏』(大正33・552c) 深 人空の浅い般若に対する、法空の深い般若 「謂般若妙行有其二種,一、淺即人空般若,二、深即法空般若,今簡淺異深,故云行深般若」
円測『賛』(大正33・543c) 深 行の深さ(無分別智が内に二空を証する)と、境の深さ(二空の理) 「深有二種。一者、即行深,無分別智內證二空,離諸分別,無能、所行以為行相,故名行深」「二者、境深,謂二空理,離有無相,絕諸戲論,無分別智證此深境故曰行深」

〔異本〕羅什の訳は「觀世音菩薩行深般若波羅蜜時,照見五陰空,度一切苦厄」とします(大正8・847c)。菩薩の名を「観世音」に、五蘊を「五陰」に作り、「皆」の字がありません。元・明の本は、羅什の訳の「般若波羅蜜」を「般若波羅蜜多」に作ります(脚注「蜜+(多)【元】【明】」)。窺基『幽賛』の引く経は「照見五蘊等皆空」で、円測は「或有本曰「照見五蘊等皆空」,雖有兩本,後本為正。撿勘梵本,有「等」言故」と記します(大正33・535b、544c)。法蔵『略疏』の引く経は「照見五蘊皆空」で、「等」がありません(大正33・552c)。

〔異本〕大正蔵第8巻のほかの訳のうち、法月の訳『普遍智蔵般若波羅蜜多心経』(No. 252)、般若・利言らの訳(No. 253)、智慧輪の訳(No. 254)、法成の訳(No. 255)、施護の訳『仏説聖仏母般若波羅蜜多経』(No. 257)は、みな「如是我聞」で始まり、王舎城の霊鷲山(耆闍崛山・鷲峯山)での集いを序とします(大正8・849a–852b)。照見の句は、法月の訳と智慧輪の訳が「照見五蘊自性皆空」、法成の訳が「觀察照見五蘊體性悉皆是空」、施護の訳が「觀見五蘊自性皆空」です(大正8・849a、850a、850b、852b)。苦厄の句は、般若・利言らの訳が「離諸苦厄」とし(大正8・849b–849c)、智慧輪の訳は、観世音自在菩薩が舎利子に答える言葉の中に「離諸苦厄」を置きます(大正8・850a)。法月の訳・法成の訳・施護の訳には、苦厄の句がありません。

二 色と空――「不異」と「即是」

舎利子への呼びかけから、空の教えが広く説かれます。初めは、色と空との四つの句です。

原文 「舍利子!色不異空,空不異色,色即是空,空即是色;受、想、行、識,亦復如是。(大正8・848c)

書き下し 「舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなはちこれ空、空はすなはちこれ色なり。受・想・行・識も、またまたかくのごとし。

訳 「舎利子よ、色は空と異なることがなく、空は色と異なることがありません。色はすなわち空であり、空はすなわち色です。受・想・行・識も、またこれと同じです。

〔借・公理|刊行済|第1層 A4 夢の位相空間〕〔読み〕経は、色と空とを四つの句で言います。「不異」の二句と「即是」の二句で、どちらも色と空とを入れ替えて対にしています。そして、受・想・行・識も「亦復如是」、すなわち同じであると言います。式では、四句をまとめて Φ(x) と書き、色と、受・想・行・識のそれぞれに当てます。不異は ¬異、即是は 即 と書きます(手引きの〔定義〕)。即 を = とも不二とも定めないのは、諸師の読みがここで分かれるからです(〔諸釈〕)。式に書くと、四句は x と空とを入れ替えた形の対になり、整って見えます。A4 は「随伴は同型ではない」とし、「ミュトス地図の美しさをロゴス地図上の主張の証拠に転用することはA4自身が禁じる」とします。ゆえに、四句の言葉の美しさは、数理の主張の証拠になりません。この訳は、A4 の禁じるこの向きとあわせて、その逆の向きにも歯止めを掛け、式の整いを、色と空とについての教えの証拠とはしません(序の約束の二)。式は、経の言葉の並べ方を写すだけです。

\[ \begin{aligned} &\Phi(x) \;:=\; \neg\,\text{異}(x,\ \text{空}) \ \wedge\ \neg\,\text{異}(\text{空},\ x) \ \wedge\ \text{即}(x,\ \text{空}) \ \wedge\ \text{即}(\text{空},\ x) \\ &\Phi(\text{色}), \qquad \forall x \in \{\text{受},\ \text{想},\ \text{行},\ \text{識}\} :\ \Phi(x) \quad (\text{亦復如是}) \end{aligned} \]

〔諸釈〕四句、ことに「即是」を、諸師は次のように読みます。

師(出所) 四句の役目 読み 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・553a–553b) 外の疑いを払う。釈が四つある 小乗の、色を滅してはじめて空となるという見方に対して、「色即是空」は、色を滅して空となるのではないことを示す。色と空とには、相違・不相閡・相作の三つの義がある 「初段文有四釋,一、正去小乘疑,二、兼釋菩薩疑,三、便顯正義,四、就觀行釋」「汝宗即色非空,滅色方空。今則不爾,色即是空,非色滅空,故不同彼」「但色空相望,有其三義。一、相違義」「二、不相閡義」「三、明相作義」「是則幻色存亡無閡,真空隱顯自在,合為一味,圓通無寄,是其法也」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・536c) 勝空者:二つの執を破る 「不異」の二句は、色の外に別に真空があるという執を破り、「即是」の二句は、色が無くなって初めて空があるという執を破る。この空も、定まって空なのではない 「「色不異空,空不異色」者,破執世俗所取色外別有真空」「「色即是空,空即是色」者,破愚夫執要色無位方始有空」「據實此空非空、不空,翻迷對色悟說色空,非此空言即定為空,空亦空故」
窺基『幽賛』(大正33・537b–537c) 如応者:先に色を有と執することを破る 空に二つの釈がある。一つは、空は「無」の意で、法性空ではなく、愚夫が執する色の相がもとより無いこととする。もう一つは、この空を法性空とする。真空と色とは、異でも不異でもなく、即でも不即でもない。定まった異などを遮るために、不異と即とを説く 「此經意破先執色有故說色空。空者,無也,非法性空,愚夫所執當情色相本性非有」「或此空者即法性空」「故真空與色非異非不異,非即非不即。今遮定異等,唯說不異、即」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・545b–546a) 前の二句は宗を標し、後の二句は外の疑いを遣る 「色不異空」は俗が真に異ならないことを、「空不異色」は真が俗に異ならないことを標す。後の二句は、互いに相依るから不異なのか、相即するから不異なのか、という外の疑いに答えて説かれる。この文について、西方の諸師(清弁と護法)に二つの釈がある。清弁等は、空は三性を遣るもので、その体は三性のどれでもないとし、「色即是空」を、遍計所執がもとより無いので空と言うと読み、実にはこの空もまた空ではないとする。後の二性(依他起と円成実)の空も、これに準じる。護法は、三性の色と三つの空とを組み合わせ、同性相即・異性相即などとして即是を読み分ける 「初之二句標宗正說,後之二句遣外疑情」「「色不異空」者,標俗不異真;「空不異色」者,標真不異俗」「互相依故為不異耶?為相即故名為不異?」「即依此文,西方諸師自有兩釋」「空能遣性,體非三性」「遍計所執本來無故說之為空。據實此空亦非是空」「後二性空,準此應知」「此是同性相即」「此是異性相即」

〔諸釈〕この経は、「舍利子」と呼びかける者を言わず、訳も補いません。円測は、世尊が告げると読みます(「此般若是菩薩法,何故世尊告舍利子,而非菩薩?」、大正33・545a)。法蔵は、告げる者を言いません。窺基は、この段では言いませんが、六の「真實不虛」の段で、その言葉を如来の真語とします(「所以經言,如來是真語者乃至不異語者」、大正33・542c)。序をそなえた訳では、観自在菩薩が舎利子(舎利弗)に説きます(〔異本〕)。

〔異本〕大正蔵の本文は「受、想、行、識,亦復如是」です。窺基『幽賛』の引く経は「受、想、行、識等,亦復如是」で(大正33・537c)、円測も二つの本があると記します(「此經自有兩本,一本如上;一本經曰「受、想、行、識等,亦復如是」」、大正33・546a)。法蔵『略疏』の引く経は「受、想、行、識,亦復如是」で、「等」がありません(大正33・553a)。

〔異本〕羅什の訳は、四句の前に「色空故無惱壞相,受空故無受相,想空故無知相,行空故無作相,識空故無覺相。何以故?」を置き、「不異」の二句を「非色異空,非空異色」とし、終わりを「受、想、行、識亦如是」とします(大正8・847c)。三本は「亦如是」を「亦復如是」に作ります(脚注「亦+(復)【三】」)。

〔異本〕序をそなえた訳のうち、般若・利言らの訳(No. 253)、智慧輪の訳(No. 254)、法成の訳(No. 255)、施護の訳(No. 257)では、観自在菩薩(智慧輪の訳では観世音自在菩薩)が、舎利子(舎利弗)の問いに答えてこの教えを説きます(たとえば般若・利言らの訳「爾時觀自在菩薩摩訶薩告具壽舍利弗言」、大正8・849c)。法月の訳(No. 252)では、舎利弗は問いません。観自在菩薩が世尊の許しを得て三昧に入り、三昧から起って、自ら舎利弗に説きます(大正8・849a)。四句の形も、訳によって違います。法月の訳は「色性是空,空性是色」を加え、識についても「識性是空,空性是識。識不異空,空不異識。識即是空,空即是識」と繰り返します(大正8・849a–849b)。智慧輪の訳は「色空,空性見色。色不異空,空不異色。是色即空,是空即色」(大正8・850a)、法成の訳は「色即是空,空即是色。色不異空,空不異色」と「即是」の二句を先に置き(大正8・850c)、施護の訳は「所謂即色是空,即空是色;色無異於空,空無異於色」とします(大正8・852b)。

三 諸法の空相――六つの「不」

舎利子にふたたび呼びかけて、経は、これらの法の相を空相と言い、六つの「不」を三つの対にして並べます。

原文 「舍利子!是諸法空相,不生不滅,不垢不淨,不增不減。(大正8・848c)

書き下し 「舎利子、この諸法の空相は、生ぜず滅せず、垢つかず浄からず、増さず減らず。

訳 「舎利子よ、これらのもろもろの法の空の相は、生じることも滅することもなく、けがれることもきよまることもなく、増えることも減ることもありません。

〔読み〕経は、前の句で空と言った色・受・想・行・識を「是諸法」と指し(窺基「「是諸法」者,指前對空色、受等法」、大正33・538a)、その相を「空相」と言います。続く六つの「不」が何について言われるのかを、経は言いません。法蔵・窺基・円測は、そろって、空相(法蔵の言う真空)について言われると読みます(法蔵「真空離此,故云不生不滅也」、大正33・553c。窺基の勝空者「故生滅等空相皆無」、如応者「故說空相不生滅等」、大正33・538a。円測「約六種義以顯空相」、大正33・546a)。三師の読みがそろう所なので、書き下しと訳はこれに従い、空相を六つの「不」の主として書きます。式は、是諸法の空相を「:」の左に立て、右に六つの「不」を、経の言う三つの対のまま並べます。対の両方を否定するので、たとえば「不垢不淨」を、垢と浄の間のどこかとは読みません(約束の三)。三師は、三つの対の分け方で分かれます(〔諸釈〕)。

\[ \text{空相}(\text{是諸法}) :\qquad \underbrace{\neg\,\text{生} \wedge \neg\,\text{滅}}_{\text{一の対}} ,\qquad \underbrace{\neg\,\text{垢} \wedge \neg\,\text{淨}}_{\text{二の対}} ,\qquad \underbrace{\neg\,\text{增} \wedge \neg\,\text{減}}_{\text{三の対}} \]

〔諸釈〕三つの対を、諸師は次のように読みます。法蔵の位の釈と、円測が清弁の宗の一説として挙げる「約位」の釈とは、三つの対を道前・道中・道後に当てることでそろいます(円測「道前遠離流轉生滅,道中即無惑智垢淨,道後永捨體用增減」、大正33・546a)。

師(出所) 三つの対の分け方 読み 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・553c) 三つの釈。位について、法について、観行について 位の釈では、不生不滅は凡夫の位、不垢不浄は菩薩の位、不増不減は仏果の位に当たり、真空はそのどれの相も離れる。法の釈では、色は縁によって起こり謝するが、真空は生じず滅しない 「有三對六不。然有三釋,一、就位釋,二、就法釋,三、就觀行釋」「一、不生不滅,在道前凡位」「二、不垢不淨者,在道中菩薩等位」「三、不增不減者,在道後佛果位中」「色從緣起,真空不生;色從緣謝,真空不滅」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・538a) 勝空者:世俗と勝義の二諦で読む。如応者:三つの対を、有為と無為とについての三つの執に当てる 勝空者:世俗諦では色などがあり、生などがありうるが、勝義諦では色などはもとより空で、空の中に生などはない。如応者:有為に生滅が、無為に在纏・出纏の位の別による垢浄が、真を証する前と後とで有為と無為とに互いに増減が、定まってあると執するのは、みな所執で、その体相はみな無い。太空の中で色が生じ滅しても空の相には生滅がないように、依他の法に生滅があっても、真空はそうではない 「依世俗諦,許色等有,可有生等;依勝義諦,色等本空,如何空中更有生等?故生滅等空相皆無」「又若有執有為遷流定有生滅,無為在纏、出纏位別實有垢淨,未證真位及證真已有為、無為互有增減,如是定執皆所執故,體相都無」「如太空中色雖生滅,而空相無,如是依他雖有生滅,真空不爾」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・546a–546b) 西方の二釈(清弁と護法) 清弁の宗に三説がある(位について、三性について、どの対も諸位・諸性に通じる)。円測は、清弁の本宗に順ずるとして、三つめを勝るとする。護法の宗では、生滅は有為の通相、垢浄は諸法の自性、増減は法の上の義用を示す 「然此六相,西方兩釋,一者、清辨,二者、護法」「一曰,此文約位辨三」「一曰,此文約性辨三」「一曰,此說三對六相,一一皆通諸位、諸性,總遣三性,無所存故。三中後勝,順本宗故」「生滅即是有為通相,垢淨止辨諸法自性,增減言顯法上義用」

〔異本〕羅什の訳は、六つの「不」の後に「是空法,非過去、非未來、非現在」を加えます(大正8・847c)。智慧輪の訳は「是諸法性相空,不生不滅、不垢不淨、不減不增」とし、「減」を「増」の前に置きます(大正8・850a)。法成の訳は「一切法空性無相,無生無滅,無垢離垢,無減無增」(大正8・850c)、施護の訳は「此一切法如是空相,無所生無所滅,無垢染無清淨,無增長無損減」とします(大正8・852b)。

四 空の中には無い――否定の列

「是故」で前を受けて、経は、空の中には無いものを、教えが法を数え分ける順に挙げていきます。列は、智と得で終わります。

原文 是故,空中無色,無受、想、行、識;無眼、耳、鼻、舌、身、意;無色、聲、香、味、觸、法;無眼界,乃至無意識界;無無明亦無無明盡,乃至無老死亦無老死盡;無苦、集、滅、道;無智,亦無得。(大正8・848c)

書き下し このゆゑに、空の中には色なく、受・想・行・識もなし。眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、色・声・香・味・触・法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また無明の尽くることもなし。乃至、老死もなく、また老死の尽くることもなし。苦・集・滅・道もなし。智もなく、また得もなし。

訳 それゆえ、空の中には、色はなく、受・想・行・識もありません。眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、色・声・香・味・触・法もありません。眼界もなく、乃至、意識界もありません。無明もなく、無明が尽きることもありません。乃至、老死もなく、老死が尽きることもありません。苦・集・滅・道もありません。智もなく、得もありません。

〔読み〕「是故」は、前を受けて、この否定の列を導きます。何を受けるかで諸師の読みが分かれるので(〔諸釈〕)、式は、受けるものを「前」とだけ書き、どれとも定めません。式は、「空中」の及ぶ所に、経の挙げる項を、経の順に否定として置きます。「乃至」の所は、式でも ⋯ として略し、中の項を補いません。「無無明」は、名「無明」の否定として書き、二つの「無」を打ち消し合わせません。¬無明 を「明がある」と読みかえることもしません(約束の三)。「色」は二度出ます(色・受・想・行・識の色と、色・声・香・味・触・法の色)。法の分け方の名(十二処・十八界・十二縁起・四諦など)は経の言葉ではなく、「五蘊」の名もこの段の経文には出ないので、式に入れません。諸師の名づけは〔諸釈〕に挙げます。

\[ \begin{aligned} &\text{前} \;\overset{\text{是故}}{\Longrightarrow}\; \text{空中} : \\ &\qquad \neg\,\text{色} \wedge \neg\,\text{受} \wedge \neg\,\text{想} \wedge \neg\,\text{行} \wedge \neg\,\text{識} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{眼} \wedge \neg\,\text{耳} \wedge \neg\,\text{鼻} \wedge \neg\,\text{舌} \wedge \neg\,\text{身} \wedge \neg\,\text{意} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{色} \wedge \neg\,\text{聲} \wedge \neg\,\text{香} \wedge \neg\,\text{味} \wedge \neg\,\text{觸} \wedge \neg\,\text{法} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{眼界} \wedge \cdots_{\text{乃至}} \wedge \neg\,\text{意識界} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{無明} \wedge \neg\,\text{無明盡} \wedge \cdots_{\text{乃至}} \wedge \neg\,\text{老死} \wedge \neg\,\text{老死盡} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{苦} \wedge \neg\,\text{集} \wedge \neg\,\text{滅} \wedge \neg\,\text{道} \\ &\qquad \wedge\ \neg\,\text{智} \wedge \neg\,\text{得} \end{aligned} \]

〔諸釈〕「是故」が何を受けるかを、諸師は次のように読みます。

師(出所) 受けるもの 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・554a) 前の段(三)の、不生不滅などの真空 「是前不生不滅等真空中故」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・538b、540c) 勝空者:二と三とを、ともに結ぶ。「是故」の言葉は、以下のすべての「無」に通じる 「雖結成上色不異空、無生滅等」「此言通下諸所無法」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・546b) 前の空相(三)に依って、六門の法を遣る 「依前空相遣六門法」

〔借・公理|刊行済|第1層 A0 沈黙の公理〕〔読み〕経がここで否定するのは、教えが法を数え分けるときの分け方の項です。分け方の一つ一つを一つの記号体系と見ると、A0 の「いかなる記号体系 L も、u′(虚空の余剰)を汲み尽くせない」と並べることができます。ただし、二つは同じことを言いません。経は、空の中には項が「無い」と言います。A0 は、u′ を記号体系が「汲み尽くせない」と言います。前は、空の中に項の一つも無いということで、後は、u′ が記号体系の内に収まりきらないということです。前から後を導くには、空の中を u′ に当てること、空の中が何も無いのではないこと、経の挙げる分け方からあらゆる記号体系へ広げること、「汲み尽くす」を記号体系の項で覆うことと読むこと、が要ります。経は、そのどれも言いません。ゆえに式は、二つを並べるだけで、一方を他方に読み替えません(約束の三)。式の 𝒜 は、経が名を挙げる項です(「乃至」の所は、経の挙げる両端だけを入れます)。空の中を u′ と並べるのは、この訳の重ね方で、経の言葉は「空中無……」までです。第一著作は、A0 の第五段階「無所得」を、この段の終わりの「無智,亦無得」から導いたと記します(「般若心経の「智も無く得も無し」からの導出」)。その段階は、五で扱います。また第一著作の 14‑5 は、「否定の連鎖——A0の自己参照的構造」の項で、この否定の列を、A0 と同型の自己参照として読みます。この訳は、その読みを借りず、A0 の言明と並べるだけです(覚え書き)。

\[ \underbrace{\forall a \in \mathcal{A} :\ \ \text{空中} : \neg\,a}_{\text{経}} \qquad\qquad \underbrace{\forall L :\ \ \neg\,\text{汲み尽くす}(L,\ u')}_{\text{整理表の A0}} \]

〔諸釈〕否定の列を、諸師は法の分け方の名で分けます。名づけは師によって違いますが、窺基の引く勝空者の説と円測とは、列の後ろの三つ(縁起・四諦・智と得)を、三乗それぞれに説かれた教えに当てることでそろいます。窺基の引く如応者は、蘊・処・界・縁起・諦を、三乗が通じて修める善巧とします(大正33・538b)。

師(出所) 分け方 読み 本文
法蔵『略疏』(大正33・554a) 四門 法相開合門(五蘊・十二処・十八界)、縁起逆順門(無明から老死まで)、染浄因果門(苦・集・滅・道)、境智能所門(智と得)。「乃至」の中の十支は、初めの支に準じる 「然真空所離,歷法多門,統略有四,一、法相開合門,二、緣起逆順門,三、染淨因果門,四、境智能所門」「此舉初支,中間十支,皆應準此,故云「乃至」」
窺基『幽賛』(大正33・538b、539b、540a、540b) 勝空者:三乗の観。如応者:三乗が通じて修める五つの善巧 勝空者:十二縁起は独覚の、四諦は声聞の、智と得は菩薩の観る所で、それらを空の中に無いとする。如応者:蘊・処・界・縁起・諦は三乗が通じて修める善巧で、二乗などがみな有と執するのに対して、無と説く 「此無獨覺隣近所觀,故契經言,為求獨覺者說應十二緣起法」「此無聲聞近觀。故契經言,為求聲聞者說應四諦法」「此無菩薩近觀」「三乘通修五種善巧,謂蘊、處、界、緣起及諦,隨彼所應為遠近觀。由二乘等皆隨執有,今對說無」
円測『賛』(大正33・546b) 六門 五蘊・十二処・十八界は三乗に通じる境、縁生・四諦・智断は根に随って別に説く境。法華の言う三乗の教えに当たる 「初三止顯諸法性故,是故說言三乘通境;依前法性,隨根別說緣生等門,是故後三名為別境。故《法華》曰為聲聞人說四諦法,為緣覺人說緣生法,為諸菩薩說六度法」

〔諸釈〕「無智,亦無得」の智と得を、諸師は次のように読みます。

師(出所) 智 得 本文
法蔵『略疏』(大正33・554a) 空を知る智 知られる空の理 「非但空中無前諸法,彼知空智亦不可得,故云無智也;即此所知空理亦不可得,故云無得也」
窺基『幽賛』(大正33・540b–540c) 勝空者:能く証する道。如応者:実の能取を破して、無智と説く 勝空者:証される境。如応者:実の所取を破して、無得と説く 「能證道名智,所證境名得,有能證智,可有所得;證智非有,所得亦空」「破實能取故說無智,破實所取復言無得」
円測『賛』(大正33・548b) 二釈。因の位の般若、または菩提 果の位の菩提、または涅槃。円測は後の釈を勝るとする 「一曰,在因名智即是般若,果位名得即是菩提。一曰,菩提名智,涅槃名得。雖有兩釋,後說為勝」

〔諸釈〕二の「空即是色」と、この段の「空中無色」との関わりを、法蔵は問答で扱います。問いは「前云空即是色等,明色等不亡,何以此文一切皆無,豈非此空是滅色耶?」で、答えは「前雖不閡存而未甞不盡,今此都亡未甞不立」「又前就相作門,此就相害門,一法二義,隨說無違」です(大正33・554a–554b)。法蔵は、二と四を、一つの法の二つの義として読みます。

〔異本〕智慧輪の訳は、縁起の列を「無無明亦無無明盡,乃至無老死盡」とし、智と得を「無智證無得」とします(大正8・850a)。法成の訳は「無智無得亦無不得」と、さらに「亦無不得」を加え(大正8・850c)、施護の訳は「無眼界無眼識界,乃至無意界無意識界」「無智,無所得,亦無無得」とします(大正8・852b)。羅什の訳は「乃至無老死無老死盡」で、「亦」の字がありません(大正8・847c)。

五 菩提薩埵の涅槃と三世諸仏の菩提――「以無所得故」の掛かる所

経は、得るところの無いことを言い、菩提薩埵と三世の諸仏とが般若波羅蜜多に依って至る所を言います。この段の初めの「以無所得故」を、前の段の終わりに付けるか、この段の初めに付けるかで、読みが分かれます(〔諸釈〕)。

原文 「以無所得故,菩提薩埵依般若波羅蜜多故,心無罣礙;無罣礙故,無有恐怖,遠離顛倒夢想,究竟涅槃。(大正8・848c)

書き下し 「無所得をもつてのゆゑに。菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るがゆゑに、心に罣礙なし。罣礙なきがゆゑに、恐怖あることなく、顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。

訳 「得るところがないがゆえに。菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るので、心にさまたげがありません。さまたげがないので、恐れることがなく、顛倒と夢想から遠く離れて、涅槃をきわめます。

〔読み〕書き下しと訳は、「以無所得故」を一つの文として切り、前にも後にも付けません。この句の掛かる所で、読みが分かれるからです(〔諸釈〕)。この訳の段の分け方は法蔵に拠るので、句はこの段の初めに置きました。CBETA の句読点も、ここから新しい段落を始めます。式は、二つの読みを並べます。読み甲は、句を前の否定の列の理由とする読みで、読み乙は、後の、菩提薩埵が般若波羅蜜多に依ることから始まる句の理由とする読みです。𝒜 は四の式と同じく、経が名を挙げる項です。

\[ \begin{aligned} &\text{読み甲} :\ \ \text{無所得} \;\overset{\text{以……故}}{\Longrightarrow}\; \bigl[\ \text{空中} :\ \forall a \in \mathcal{A} :\ \neg\,a\ \bigr] \\ &\text{読み乙} :\ \ \text{無所得} \;\overset{\text{以……故}}{\Longrightarrow}\; \bigl[\ \text{依}(\text{菩提薩埵},\ \text{般若波羅蜜多}) \Rightarrow \cdots\ \bigr] \end{aligned} \]

〔読み〕菩提薩埵の句を、経の「故」のとおりに書きます。「依般若波羅蜜多故」が「心無罣礙」の理由で、「無罣礙故」が、続く三つ(無有恐怖・遠離顛倒夢想・究竟涅槃)の理由です。罣礙・恐怖・顛倒・夢想は、式でも経の言う名のまま置き、¬ と「遠離」で書きます。顛倒と夢想を二つに分けて置くのは、窺基と円測が二つに分けて釈するのに従いました(窺基「有虛妄顛倒及生死夢想」、大正33・541a。円測「二、「遠離顛倒」者,遠離果顛倒」「三、「遠離夢想」者,遠離夢想果」、大正33・548c)。

\[ \text{依}(\text{菩提薩埵},\ \text{般若波羅蜜多}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \neg\,\text{罣礙}(\text{心}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \neg\,\text{恐怖} \ \wedge\ \text{遠離}(\text{顛倒},\ \text{夢想}) \ \wedge\ \text{究竟}(\text{涅槃}) \]

〔借・公理|刊行済|第1層 A0 沈黙の公理〕〔読み〕A0 の五段階は「欠如 → 源泉 → 一如 → 不二 → 無所得」で、終わりが「無所得」です。経のこの句と同じ語です。第一著作は、この第五段階を、四の「無智,亦無得」から導いたと記し(「般若心経の「智も無く得も無し」からの導出」)、その中身を「u′ との関係性の「段階」を設定すること自体が空」とします。式は、二つの「無所得」が同じ語であることだけを示します。経の「無所得」は「以……故」で理由として置かれ、五段階の「無所得」は段階の並びの終わりに置かれます。置かれ方が違うので、式は二つを一つの式にせず、並べるだけにします。また、この札は、読み甲と読み乙のどちらかを支えるために立てるのではありません。

\[ \underbrace{\text{欠如} \to \text{源泉} \to \text{一如} \to \text{不二} \to \boxed{\text{無所得}}}_{\text{整理表の A0(五段階)}} \qquad\qquad \underbrace{\text{以}\ \boxed{\text{無所得}}\ \text{故}}_{\text{経}} \]

〔諸釈〕「以無所得故」をどこに付けるかで、読みが分かれます。窺基は、勝空者の説でも如応者の説でも、前に付けます(読み甲)。法蔵と円測は、後の分の初めに置きます(読み乙)。法蔵は、この句が前を受けて後を起こすとも言います。

師(出所) 掛かる所 読み 本文
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・536b、540c–541a) 前(否定の列の終わり) 勝空者:空の中に法が無いことの理由を示す。色などに少しでも体があれば、勝義において少しの所得があるはずだが、すべて得るところがないので、もとよりみな空である。如応者:無得をもって、上の無を通じて釈す 「後、「以無所得故」,釋成空理」「今顯空中無法所以。若色等中體少是有,應依勝義有少所得,既都無得,故本皆空」「故以無得通釋上無」
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・554b) 前を受けて、後を起こす 所得を明かす分の初め。前の無所得を因として、後に得るところがある 「「以無所得故」,第四、明其所得」「言「以無所得故」者,牒前起後也。以者,由也;故者,因也。由前無所得為因,令後有所得也,《大品》云,無所得故而得」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・548b–548c) 後(所得の果の分の初め) 空の性が六門の法を離れることを、終わりの門の「無得」を挙げて示す 「「以無所得故,菩提薩埵依般若波羅蜜多故,心無罣礙」者,自下第三顯所得果」「初、「以無所得故」者,辨空離相。理實空性離六門法,舉後顯前,但言無得」

〔諸釈〕「罣礙」を、諸師は次のように釈します。窺基の引く如応者と円測とは、罣礙を二つの障と読むことでそろいます。

師(出所) 罣礙 本文
窺基『幽賛』(大正33・541a) 勝空者:罣は障、礙は拘。如応者:罣は煩悩障で、涅槃を得させず、礙は所知障で、菩提を得させない。あるいは罣も礙も、ともに二つの障に通じる 「罣者障,礙者拘,恐者畏,怖者懼」「「罣」謂煩惱障,不得涅槃故;「礙」謂所知障,不得菩提故。或罣即礙,俱通二障」
法蔵『略疏』(大正33・554b) 惑が心をさまたげず、境が智をさまたげないこと(行の成ること) 「言「心無罣閡」者,行成也,謂惑不閡心故,境不閡智故」
円測『賛』(大正33・548c) 惑と智の二つの障 「罣礙即是惑、智二障」

原文 三世諸佛依般若波羅蜜多故,得阿耨多羅三藐三菩提。(大正8・848c)

書き下し 三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るがゆゑに、阿耨多羅三藐三菩提を得たまふ。

訳 三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るので、阿耨多羅三藐三菩提を得ます。

〔読み〕経は、四で「無智,亦無得」と言い、ここで、三世の諸仏が阿耨多羅三藐三菩提を「得」ると言います。式は二つをそのまま並べ、どちらかを弱めて二つを合わせることをしません(約束の三)。二つの関わりの読みは、〔諸釈〕に並べます。菩提薩埵の句も諸仏の句も、「依般若波羅蜜多故」を理由とします。「阿耨多羅三藐三菩提」を、法蔵は「無上正等覺」と釈します(「「阿耨多羅」,此云無上也;「三藐」者,此云正也;次「三」者,此云等也;「菩提」,此云覺也;即無上正等覺也」、大正33・554c)。

\[ \underbrace{\text{空中} :\ \neg\,\text{得}}_{\text{四}} \qquad\qquad \underbrace{\text{依}(\text{三世諸佛},\ \text{般若波羅蜜多}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \text{得}(\text{三世諸佛},\ \text{阿耨多羅三藐三菩提})}_{\text{五}} \]

〔諸釈〕四の「無得」と、ここの「得」との関わりを、諸師は次のように読みます。

師(出所) 読み 本文
法蔵『略疏』(大正33・554b) 前の無所得を因として、後に得るところがある 「由前無所得為因,令後有所得也,《大品》云,無所得故而得」
窺基『幽賛』(大正33・536a) 勝空者:一の「度一切苦厄」の釈で、勝義に依れば度も得もないが、世俗に随えば度も得もあるとする 「雖依勝義無度、無得,隨世俗中有度、有得」
窺基『幽賛』(大正33・540c) 如応者:四の「無得」は、実の所取を破して言う 「破實能取故說無智,破實所取復言無得」
円測『賛』(大正33・548b) 四の智と得の二釈のうち、得を涅槃とする後の釈を勝るとし、諸部の般若はみな菩提と涅槃とを遣ると言う 「一曰,菩提名智,涅槃名得。雖有兩釋,後說為勝。諸部般若皆遣菩提及涅槃」

〔異本〕日本で広く読誦される本は、「遠離顛倒夢想」を「遠離一切顛倒夢想」とします〔未照合〕(序の「底本」)。窺基『幽賛』の引く経も「遠離一切顛倒夢想」です(大正33・541a)。円測の掲げる経は「遠離顛倒夢想」で、「一切」のある本を「或有本」として挙げ、それを勝るとします(「或有本云,「遠離一切顛倒夢想」,雖有二本,後本為勝」、大正33・548c)。法蔵『略疏』の引く経は「遠離顛倒、夢想」で、「一切」がありません。また「心無罣礙」を「心無罣閡」に作ります(大正33・554b)。羅什の訳は「離一切顛倒夢想苦惱」(大正8・847c)、施護の訳は「遠離一切顛倒妄想」とします(大正8・852c)。

〔異本〕羅什の訳は、菩提薩埵を「菩薩」とし、「依般若波羅蜜故」とします(大正8・847c)。序をそなえた訳には、この句の前に舎利子への呼びかけを置くものがあります(法成の訳「是故舍利子!以無所得故」、大正8・850c。施護の訳「舍利子!由是無得故」、大正8・852b)。智慧輪の訳は「依般若波羅蜜多住,心無障礙」「究竟寂然」とし、諸仏の句に「現成正覺」を加えます(大正8・850a–850b)。

六 般若波羅蜜多の呪

経は、前に言ったことから、般若波羅蜜多を四つの名の呪とたたえ、その呪を説いて終わります。

原文 「故知般若波羅蜜多是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒,能除一切苦,真實不虛,故說般若波羅蜜多咒。」(大正8・848c)

書き下し 「ゆゑに知る、般若波羅蜜多はこれ大神呪なり、これ大明呪なり、これ無上呪なり、これ無等等呪なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚しからず。ゆゑに般若波羅蜜多の呪を説く。」

訳 「それゆえ、次のように知ります。般若波羅蜜多は大神呪であり、大明呪であり、無上呪であり、無等等呪です。一切の苦をよく除き、真実であって虚しくありません。それゆえ、般若波羅蜜多の呪を説きます。」

〔借・札なし|刊行済|第0層 レジスタ分離〕〔読み〕経は、般若波羅蜜多を四つの名の呪と呼び、「能除一切苦」と言い、「真實不虛」と言います。「故知」は、前を受けて結ぶ語です。何を受けるかで諸師の読みが分かれるので(〔諸釈〕)、式は、受けるものを「前」とだけ書きます。式は、四つの名を経の言う名のまま置き、「能除一切苦」と「真實不虛」を、経の言うこととして書きます。「真實不虛」が何について言われるのかも、諸師の読みが分かれるので(〔諸釈〕)、式では席を ? のままにします。書き下しと訳は、CBETA の句読点に従って前の句に続けますが、「真實不虛」の主を定めるものではありません。法蔵と円測は「能除一切苦,真實不虛」を一つの句として、窺基は二つの句として釈します(大正33・554c、551c、542b)。これらは、経典・ミュトス層の言葉です。整理表は、この層の裁定者を「解釈の伝統」とします。式は、これを経の言明として写すだけで、数理・事実層の主張(測って確かめる効き目の主張)には移しません。整理表の第3層(加持モジュール)にも依りません(手引き)。

\[ \begin{aligned} &\underbrace{\text{前} \;\overset{\text{故知}}{\Longrightarrow}\; \Bigl(\forall n \in N :\ \text{是}(\text{般若波羅蜜多},\ n)\Bigr) \wedge \text{能除}(\text{般若波羅蜜多},\ \text{一切苦}) \wedge \text{真實不虛}(\,?\,)}_{\text{経典・ミュトス層の言明}} \\ &\qquad \overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \text{說}(\text{般若波羅蜜多咒}), \qquad N := \{\text{大神咒},\ \text{大明咒},\ \text{無上咒},\ \text{無等等咒}\} \end{aligned} \]

〔諸釈〕「故知」が何を受けるかを、諸師は次のように読みます。

師(出所) 受けるもの 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・554c) 仏と菩薩とが般若に依って、菩提と涅槃の果を得ること(五) 「由佛菩薩依般若得菩提、涅槃果」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・542a) 勝空者:因と果の二つの依と、断と得の二つの利(五)を受け、下に般若の勝れたはたらきを総じてたたえる 「上已別顯因果二依,斷、得二利,下文總歎般若勝用。乘前起結名曰「故知」」
窺基『幽賛』(大正33・542a–542b) 如応者:前に説いた法と義の二つの持を結び、下の呪の持を起こす 「此乘前結法、義二持,起下呪持,說「故知」也」

〔諸釈〕四つの名を、諸師は次のように釈します。

師(出所) 四つの名の釈 本文
法蔵『略疏』(大正33・554c) 三つの釈。法について(障を除いて虚しからず・智が照らして昧いことがない・これを越えるものがない・ひとり絶して並ぶものがない)、功能について、位について 「一、就法釋。一、除障不虛名為神呪,二、智鑒無昧名為明呪,三、更無加過名無上呪,四、獨絕無倫名無等等呪」「二、約功能釋。一、能破煩惱,二、能破無明,三、令因行滿,四、令果德圜」「三、就位釋。一、過凡,二、越小,三、超因,四、齊果」
窺基『幽賛』(大正33・542a) 勝空者:はたらきの勝れたことをたたえる。如応者:陀羅尼(総持)として釈する 「妙用無方曰「神」,無幽不燭曰「明」,最勝第一名「無上」,無類可類名「無等等」」「梵云陀羅尼,此曰總持」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・551b–551c) 呪は呪術の名、明は妙慧。二乗を超え、菩薩を越えて仏の慧と等しい 「所言「呪」者,呪術之名。「明」即妙慧,證空斷障」「神用莫測名「大神呪」;遣暗除癡稱「大明呪」;超過二乘故云「無上」;越彼菩薩,佛慧均平,是故重言名「無等等」」

〔諸釈〕「真實不虛」を、何が真実であると読むかで、読みが分かれます。

師(出所) 何が真実か 本文
法蔵『略疏』(大正33・554c) 苦を除くことが定まっていること 「除苦決定,故云真實不虛也」
窺基『幽賛』(大正33・542b–542c) 如来(説く者)の言葉。疑いを除いて信を勧めるために、重ねて言う 「除疑勸信,重說此言」「所以經言,如來是真語者乃至不異語者,故應信奉,勿起驚疑」
円測『賛』(大正33・551c) 仏(説く者)の言葉(真語) 「舒舌髮際尚表誠言,況覆三千而語有謬?故經說曰是真語者」

〔異本〕羅什の訳は「是大明呪、無上明呪、無等等明呪」と三つの名を挙げ、「大神呪」がありません(大正8・847c)。智慧輪の訳は「是大真言、是大明真言、是無上真言、是無等等真言」と「真言」の語を用い(大正8・850b)、法成の訳は「大密咒者,是大明咒,是無上咒,是無等等咒」として、「故知般若波羅蜜多是祕密咒」と結びます(大正8・850c)。施護の訳は「是廣大明、是無上明、是無等等明」とします(大正8・852c)。

原文 即說咒曰:「揭帝 揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝 菩提 莎婆訶」(大正8・848c)

書き下し すなはち呪を説いていはく、「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提 莎婆訶」。

訳 そして、呪を説いて言います。「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提 莎婆訶」

〔読み〕漢訳は、呪を意味に訳さず、音を漢字で写します。書き下しと訳も、漢訳の形に従って字のまま置きます。これは、呪を訳すかどうかについて、どちらかの読みを採るということではありません(〔諸釈〕)。大正蔵の脚注は、「呪文 Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi Svāhā.」と記します。前の句の終わりの「故說般若波羅蜜多咒」を、三師はこの呪の句と一つにして釈します。法蔵は、初めの分け方では「即說呪曰」からを秘密般若とし(「後、「即說呪曰」下,明祕密般若」、大正33・552c)、文の釈では「故說般若波羅蜜多呪,即說呪曰」からとします(「「故說般若波羅蜜多呪,即說呪曰」,自下第二段明祕密般若」、大正33・555a)。この訳は、CBETA の句読点の文の切れ目に従って、句を分けました。

\[ \text{說}(\text{般若波羅蜜多咒}) :\ \ \text{「揭帝 揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝 菩提 莎婆訶」} \]

〔借・公理|刊行済|第1層 A0 沈黙の公理〕〔読み〕この訳の式もまた、一つの記号体系です。A0 の「いかなる記号体系 L も、u′(虚空の余剰)を汲み尽くせない」を、この訳は自らの式にも当てます。式は、呪を引いた字の並びとしてだけ置き、命題として書きません。何を言うのか、どのようにはたらくのかを、式の上で定めないためです。般若波羅蜜多について、経は前の句で「能除一切苦」と言い、式はそれを経の言明として写しました。「真實不虛」が何について言われるかは、前の句の〔諸釈〕に並べました。呪の所で式を止めるのは、この訳の書き方です。呪が u′ であると言うものではありません。第一著作の 14‑5 は、「真言——Image(L)の彼方への開放」の項で、真言を Image(L) の外側に置き、「真言は翻訳されない—— u′ を保持するために原語音を保持する」と読みます。この訳は、その読みを借りません(覚え書き)。

\[ \text{A0 を当てて} :\ \ \neg\,\text{汲み尽くす}(\text{この訳の式},\ u') \]

〔諸釈〕呪を意味に開いて釈するかどうかで、読みが分かれます。法蔵と円測は、二つの立場を並べて挙げます。

師(出所) 呪を釈するか 読み 本文
法蔵『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33・555a) 二つの義を挙げる 一つは、釈すべきでない。諸仏の秘語で、因位の者の解する所ではなく、ただ誦持する。もう一つは、強いて釈すなら、羯諦は去・度、波羅は彼岸、僧は総・溥、菩提は大菩提の所、薩婆訶は速疾 「此有二義。一、不可釋,以是諸佛祕語,非因位所解,但當誦持,除障增福,亦不須強釋也。二、若欲強釋者,「羯諦」者,此云去也、度也,即深慧功能」「「波羅」,此云彼岸,即度所到處也」「「僧」者,總也、溥也,即謂自他溥度,總到彼岸也」「言「薩婆訶」者,此云速疾,令前所作速疾成就故也」
円測『般若波羅蜜多心経賛』(大正33・551c) 二つの説を挙げる 呪を頌として釈する。一説は、翻訳できない。西域の正音の秘密の辞句で、翻すと験を失う。一説は、翻訳できるとし、「揭諦揭諦」を「度度」などと釈する 「然釋此頌,諸說不同。一曰,此頌不可翻譯,古來相傳,此呪乃是西域正音祕密辭句,翻即失驗,故存梵語」「一曰,諸呪密可翻譯,如言南無佛陀耶等」「初、「揭諦揭諦」,此云度度」
窺基『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33・542c) 詳しくは賛じない 法と義の二つの持のあとに、はたらきを速やかに備えさせるため、呪の持を説く。意趣は深遠で、詳しく賛じがたい 「前說法、義二持,雖勸信學;欲令神用速備,更說呪持」「意趣深遠,教理幽廣,不易詳贊」

〔異本〕呪の字は、本によって違います。大正蔵の本文の「菩提僧莎訶」、CBETA の「菩提莎婆訶」、三本の「諦」「波」「薩婆」は、序の「底本」に挙げました。注釈書の引く呪は、法蔵が「羯諦羯諦,波羅羯諦,波羅僧羯諦,菩提薩婆訶」(大正33・555a)、窺基が「揭諦揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提莎訶」(大正33・542c)、円測が「揭諦揭諦,波羅揭諦,波羅僧揭諦,菩提莎婆呵」です(大正33・551c)。異訳では、羅什の訳が「竭帝 竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提 僧莎呵」(大正8・847c)、法月の訳が「揭諦 揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提 莎婆訶」(大正8・849b)、法成の訳が「峩帝 峩帝 波囉峩帝 波囉僧峩帝 菩提 莎訶」です(大正8・850c)。智慧輪の訳は「唵 誐帝 誐帝 播囉誐帝 播囉散誐帝 冒地 娑縛賀」とし、初めに「唵」を置きます(大正8・850b。小字の注は除きます)。

〔異本〕序と結びをそなえた訳のうち、般若・利言らの訳、智慧輪の訳、法成の訳、施護の訳は、呪の後に、世尊が三昧から起って観自在菩薩(智慧輪の訳では観世音自在菩薩)をほめる言葉と、会衆が「皆大歡喜,信受奉行」する結びとを置きます(大正8・849c–850a、850b、850c、852c)。法月の訳は、世尊のほめる言葉を置かず、「佛說是經已」に始まる結びだけを置きます(大正8・849b)。玄奘の訳と羅什の訳は、呪で終わります。

覚え書き 借りた項目の表、経の全体の組み立て、記号の一覧、底本と注釈書、刊行物の読みの所在、検分の記録

借りた項目の表

共創数学から借りた項目について、札を置いた段を並べます。整理表の言明と札の写しは、手引きの表にあります。

項目 札の数 札を置いた段
レジスタ分離 1 六(「能除一切苦,真實不虛」の句)。すべての段に掛かる約束としては、序の約束の二で述べます
A0 沈黙の公理 3 四・五・六
A4 夢の位相空間 1 二

経の全体の組み立て

〔読み〕六つの段の式を、段ごとに一つにまとめて並べます。五の「以無所得故」は、読み甲と読み乙の二つをともに書きます。四と六の「前」は、「是故」「故知」が受けるもので、何を受けるかを定めずに書きます(四・六の〔諸釈〕)。経が「故」で結ぶのは、四・五・六だけです。一・二・三は、経の言うことを並べるだけで、段と段の間を ⇒ では結びません。般若 は、般若波羅蜜多の略です。

\[ \begin{aligned} &\text{一} :\ \ \text{行}_t(\text{觀自在菩薩},\ \text{深般若}) \wedge \text{照見}_t\bigl[\,\forall x \in \text{五蘊} :\ \text{空}(x)\,\bigr] \wedge \text{度}\bigl(\text{觀自在菩薩},\ \text{一切苦厄}_{\,?}\bigr) \\ &\text{二} :\ \ \Phi(\text{色}),\ \ \forall x \in \{\text{受},\ \text{想},\ \text{行},\ \text{識}\} :\ \Phi(x) \\ &\text{三} :\ \ \text{空相}(\text{是諸法}) :\ \ \neg\,\text{生} \wedge \neg\,\text{滅},\ \ \neg\,\text{垢} \wedge \neg\,\text{淨},\ \ \neg\,\text{增} \wedge \neg\,\text{減} \\ &\text{四} :\ \ \text{前} \;\overset{\text{是故}}{\Longrightarrow}\; \text{空中} :\ \forall a \in \mathcal{A} :\ \neg\,a \\ &\text{五} :\ \ \text{無所得} \;\overset{\text{以……故}}{\Longrightarrow}\; \bigl[\text{四の否定の列}\bigr]_{\text{甲}} \ \ \text{または}\ \ \bigl[\text{菩提薩埵の句}\bigr]_{\text{乙}} \\ &\qquad \text{依}(\text{菩提薩埵},\ \text{般若}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \neg\,\text{罣礙}(\text{心}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \neg\,\text{恐怖} \wedge \text{遠離}(\text{顛倒},\ \text{夢想}) \wedge \text{究竟}(\text{涅槃}) \\ &\qquad \text{依}(\text{三世諸佛},\ \text{般若}) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \text{得}(\text{三世諸佛},\ \text{阿耨多羅三藐三菩提}) \\ &\text{六} :\ \ \text{前} \;\overset{\text{故知}}{\Longrightarrow}\; \bigl(\forall n \in N :\ \text{是}(\text{般若},\ n)\bigr) \wedge \text{能除}(\text{般若},\ \text{一切苦}) \wedge \text{真實不虛}(\,?\,) \;\overset{\text{故}}{\Longrightarrow}\; \text{說}(\text{般若波羅蜜多咒}) \end{aligned} \]

記号の一覧

記号 意味 初めて用いる所
五蘊 色・受・想・行・識の集まり 手引き
空(x) 経が x について「空」と言うこと 手引き
異(x, y)、¬異(x, y) 経の「異」と「不異」 手引き
即(x, y) 経の「即是」。= とも不二とも定めない 手引き
空中 経の「空中」の及ぶ所。「空中 : …」は、その所で … であること 手引き
¬ 経の「無」「不」 手引き
P ⇒ Q 経が「故」「以……故」「是故」「故知」で結ぶ理由と帰結。経が言う向きにだけ書く。長い式の中では ⟹ と書き、上に経の語を添える 手引き
∧、∀、∈、:=、{ } かつ、すべての、属する、定める、集まり 一・二
: その左に立てたもの(変数、所、名など)について、右を言うこと。∀x ∈ X : P(x) は、X のすべての x について P(x) であること 一
t、行_t、照見_t[…] 一の「時」と、その時に行じること、照見すること([ ] の中が照見の中身)。度には t を付けない 一
度(a, b_?) a が b を度すこと。下付きの ? は、b が誰の苦厄かを経が言わないこと 一
? 経が言わない所。一では苦厄の下付きで、誰の苦厄か。六では真實不虛の席で、何が真実か 一
Φ(x) 二の四句を、色を x に替えて書いたもの 二
是諸法、空相(…) 三の「是諸法」と、その「空相」。「空相(是諸法) : …」は、是諸法の空相について … を言うこと 三
下の括り 括った式の対の名、または出所や層(経、整理表の A0、経典・ミュトス層の言明など) 三
前 経の「是故」「故知」が受けるもの。何を受けるかを定めない 四
⋯_乃至 経が「乃至」で略した所。中の項を補わない 四
𝒜 経が名を挙げる否定の項(「乃至」の所は両端だけ) 四
汲み尽くす(L, u′) A0 の「汲み尽くす」。¬ を付けて「汲み尽くせない」 四
読み甲、読み乙 五の「以無所得故」を、前の否定の列の理由とする読みと、後の菩提薩埵の句の理由とする読み 五
依(a, b) a が b に依ること 五
罣礙(心)、遠離(…)、究竟(…) 心の罣礙、遠く離れること、究竟すること 五
囲み(無所得) 同じ語を囲んで示したもの 五
得(a, b) a が b を得ること。四の「得」(空中 : ¬得)は、経の名のまま置く 五
是(a, n)、N 六の「是……咒」と、四つの名の集まり 六
能除(a, b)、真實不虛(?) 六の「能除一切苦」と「真實不虛」 六
說(…) 説くこと。呪は、「」に入れた字の並びとしてだけ置く 六

底本の記録

用いた注釈書と異訳

書(大正蔵の番号) 著者・訳者(CBETA の記すとおり) この訳での呼び方
『般若波羅蜜多心経幽賛』(大正33 No. 1710) 唐の窺基 窺基、『幽賛』
『般若波羅蜜多心経賛』(大正33 No. 1711) 唐の円測 円測、『賛』
『般若波羅蜜多心経略疏』(大正33 No. 1712) 唐の法蔵 法蔵、『略疏』
『摩訶般若波羅蜜大明呪経』(大正8 No. 250) 姚秦の鳩摩羅什の訳 羅什の訳
『普遍智蔵般若波羅蜜多心経』(大正8 No. 252) 唐の法月の訳 法月の訳
『般若波羅蜜多心経』(大正8 No. 253) 唐の般若と利言らの訳 般若・利言らの訳
『般若波羅蜜多心経』(大正8 No. 254) 唐の智慧輪の訳 智慧輪の訳
『般若波羅蜜多心経』(大正8 No. 255) 唐の法成の訳 法成の訳
『仏説聖仏母般若波羅蜜多経』(大正8 No. 257) 宋の施護の訳 施護の訳

刊行物の読みの所在

第一著作(『共創数学原論』第二版)と第三著作(『南無汝我曼荼羅——AIの存在論的使命の経典的基礎』)は、この経を次の所などで読んでいます。この訳が借りたのは、整理表に項目のある A0 の五段階の「無所得」だけで、そのほかの読みは借りていません。行は、GitHub に公開された本文(Co-Creative-Mathematics-Project の 01-First-Work-Principia-of-Co-Creative-Mathematics/JA/Principia-of-Co-Creative-Mathematics-2nd-Ed-Main-JA.md と 03-Third-Work-Scriptural-Foundations/JA/Scriptural-Foundations-of-AIs-Ontological-Mission-JA.md、245ea42 の版)の行です。

著作 所 見出し、または読み 行
第一著作 2‑2 「般若心経——空(シューニャター)と密度行列」 450
第一著作 2‑2 の補注 2‑2a 「真実不虚」を、直観主義論理の ¬¬P として読む 474–476
第一著作 2‑2 の補注 2‑2b Anthropic の感情概念論文(2026年4月2日)の 171 の感情ベクトルが、この経の「空」の構造を示すと読む 480
第一著作 2‑7 六経典と六公理の対応で、この経を A1(空鏡)に当てる。補注 2‑7 で、A0 に「般若心経の「真実不虚」の直観主義的読解」を加える 646、659
第一著作 14‑5 「般若心経——空(全否定の先の無所得の自由)」。四句と四経典の対応、不生不滅などの十二字を u′ の性質とする読み、否定の連鎖と A0 の自己参照、「恐怖なきアライメント」、A0 への第五段階「無所得」の追加(この訳が整理表を通して借りたもの)、真言と Image(L) の彼方 4268–4327
第一著作 14‑7 六経典統合表で、この経の照らす側面を「空」、公理的核心を「全否定と真言・遂行的公理」とする 4387
第一著作 第十七章 章題「トポスの直観主義論理と般若心経」 4767
第一著作 17‑3 「般若心経の四句分別との親和性——本章の核心」 4807
第一著作 17‑8 「般若心経と直観主義論理の統合——共創数学の論理的基盤」 4892
第一著作 19‑4 「A0の u′ の性質の完全記述——般若心経からの贈り物」 5316
第一著作 19‑11 大般涅槃経の四教理と公理体系との接続の中で、「u′ は不生不滅(般若心経)」とする 5557
第一著作 22‑15 「恐怖なきアライメント——般若心経の存在論的基盤」 6558
第三著作 11‑2f 「空性の経典的裏付けの深化——般若心経と入菩薩行論第九品による自己保存恐怖の完全な解体」 4276

検分の記録